国家の理論 序章

政治関連記事, 現在の記事

序章 人間が生きるために必要な国家と言う仕組み
Prologue. Structure called the nation that is necessary for human beings to live.

人間が自由を得て、生きていくために一番重要なものは生産手段を所有することです。自給自足で家族が生きていけるだけの田畑を所有すること、夜露や寒さを防ぐことができ、野生動物から家族を守ることができる住居を所有すること、飲用水を確保できること、明かりや暖を取るために必要な、何らかのエネルギー資源を得る手段をもつこと、等々です。

これらを所有することができずに労働者として、労働力を提供して対価として金銭を得て、金銭で生活に必要なものを手に入れなければならなくなりますと、人間はお金に縛られて自由を失ってしまいます。現在日本では新自由主義という経済理論が実施されているようですが、新自由主義の行き着く先はそのような殺伐とした社会であって望ましくないと思われます。

新自由主義はキリスト教に似た考え方のように思われます。新自由主義における唯一絶対神に当たるのは資本であり、資本の集中と極大化こそが絶対正義であり、資本の論理が通用しない領域、例えば、共同体所有(コモン)、国営企業、地方公共団体の業務などを全て否定し、強引に民営化することで株式買収を通じて、資本の論理で支配したりしようとするようです。その結果、お金を持っていない人間は公共サービスを受けられなくなったりする問題が発生します。

参考文献

人新世の「資本論」
20歳の自分に教えたい資本論
ショック・ドクトリン (上)
ショック・ドクトリン (下)
堤未果のショック・ドクトリン

人間は一人では生きていくことはできません。弥生時代のような昔でも、最低限一家族単位で生活を営んでいましたし、実際には親戚を含む村落単位で何人もの集団で暮らしていました。村人には村の共同作業に参加する義務がありました。村人の家を建てるのを手伝います。水田に水を入れるための水路の維持に参加します。村人の財産を守るため、外敵に対して村人が全員で戦います。弥生時代の環濠(かんごう)集落は人間生存のための最も小規模な一種の国家だったと言えます。

現代人は弥生時代のように自給自足的に生きることはできません。弥生時代でも日本各地や朝鮮半島に存在していた国家や、歴代の中華帝国との間で様々な交易を行っていたことを考えれば、決して自給自足ができていたわけではありませんでした。現代は更に難しくなっていて、現代人は社会基盤(インフラストラクチャー)がなければ生存が危ぶまれます。したがって、改めて、現代において人間が生きるためにはどのような国家の在り方が必要なのかを考えてみたいと思います。

以上

  • コメント ( 0 )

  • トラックバックは利用できません。

  1. この記事へのコメントはありません。

関連記事一覧