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旧ブログ記事を更新(初出2019年4月19日)
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このページで紹介している氏神とは、鎮守神社のような地元の神様のことではなく、同じ氏族共通の神様の事です。いわば、あなたの御先祖様に当たる神様です。

保坂(ほさか)

倭文神社(しとりじんじゃ)です。住所は山梨県韮崎市穂坂町宮久保(やまなしけんにらさきしほさかまちみやくぼ)6051です。
倭姓穂坂氏は、穂坂牧(甲斐国巨摩郡穂坂村(山梨県韮崎市穂坂町(やまなしけんにらさきしほさかまち)))を本貫として穂坂氏と称したそうです。この神社は穂坂総社だそうです。
津野神社(つのうじんじゃ)です。住所は滋賀県高島市今津町北仰(しがけんたかしましいまづちょうきとげ)316-1です。
紀角宿禰(きのつののすくね)の子孫の保坂氏は、近江国高島郡保坂村(滋賀県高島市今津町(しがけんたかしましいまづちょう))を本貫として保坂氏と称したそうです。
諏訪大社 です。
諏訪神党系保坂氏は、諏訪氏敦光流の庶流です。

星野(ほしの)

熱田神宮(あつたじんぐう)です。
熱田大宮司藤原氏系星野氏は、この神社です。
尾張氏から、藤原季範(ふじわらのすえのり)が熱田大宮司職を譲られ、大宮司になりました。その藤原季範の次男・藤原範信(ふじわらののりのぶ)は三河国宝飯郡(ほいぐん)星野荘を領して星野と称したそうです。
室山熊野神社(むろやまくまのじんじゃ)です。住所は福岡県八女市星野村(ふくおかけんやめしほしのむら)です。
この神社は星野胤実(ほしのたねざね)が一族の武運長久と繁栄、領民の幸福を祈願して、嘉禄(かろく)二年(1226年)に星野村に熊野権現を勧請し、建立されたそうです。
星野氏は、調(しらべ)姓黒木氏支流で、開祖の星野胤実が筑後国生葉郡星野邑(ちくごのくにいくはぐんほしのむら)(福岡県八女市星野村)を領して星野と称したそうです。

穂積(ほづみ)

熊野速玉大社(くまのはやたまたいしゃ)です。
饒速日命(にぎはやひのみこと)の後裔(こうえい)大木別垂根命(おおきわけたるねのみこと)の子である真津(まつ)が穂積臣(ほづみおみ)姓を賜ったそうです。子孫は熊野速玉大社の禰宜(ねぎ)を世襲しました。嫡流はその後、鈴木氏と称しました。藤白鈴木氏、雑賀鈴木氏、三河鈴木氏などに別れ、子孫が大変多くなりました。

堀江(ほりえ)

本荘春日神社(ほんじょうかすがじんじゃ)です。住所は福井県あわら市中番(なかばん)1-5の辺りです(地名では中番・下番入会地)。
藤原利仁流斎藤氏族の堀江氏は、鎌倉時代から越前国坂井郡河口荘堀江郷(福井県あわら市周辺)に有力国人として土着し、堀江氏と称したそうです。神社の由緒書によると寛弘(かんこう)8年(1011年)、鎮守府将軍藤原利仁の子孫で、越前国の押領使(おうりょうし)であった斎藤伊傳が、勧請したそうです。
鹿島神社(かしまじんじゃ)です。住所は茨城県常陸太田市大方町(いばらきけんひたちおおたしおおかたちょう)1251の辺りです。
佐竹氏家臣の堀江氏は、常陸国久慈郡久米村(茨城県常陸太田市久米町)を本拠にしていました。
西富岡八幡宮(にしとみおかはちまんぐう)です。住所は神奈川県伊勢原市西富岡(かながわけんいせはらしにしとみおか)890です。
清和源氏新田氏の子孫の堀江氏は、相模国西富岡村(神奈川県伊勢原市西富岡)に土着し、子孫代々西富岡村の名主を世襲したそうです。西富岡八幡宮の由来には堀江氏が氏子総代として記され、大石灯籠を寄進した事が記されているそうです。

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以上

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