氏神神社(へ行)関連リンク。

旧サイト記事, 神様関連記事

旧ブログ記事を更新(初出2019年4月19日)
Guardian deity shrine (the Japanese “he” column) related Links.

リンク先は外部のサイト(サービス)になります。デザインも変わりますし、リンク先の安全性は不明です。リンクが切れている場合もあります。サイトが閉鎖された。あるいは、移転してしまっていて、このページの記事が新しいリンク先に更新されていないとそうなります。

このページで紹介している氏神とは、鎮守神社のような地元の神様のことではなく、同じ氏族共通の神様の事です。いわば、あなたの御先祖様に当たる神様です。

塀内・平内(へいのうち)

荒田神社(あらたじんじゃ)です。住所は和歌山県岩出市大字森(わかやまけんいわでしおおあざもり)237番地です。
紀伊国根来(きいのくにねごろ)、現在の和歌山県岩出市根来(わかやまけんいわでしねごろ)の大工為吉が、豊臣秀吉に見いだされて聚楽第を造営して塀内(へいのうち)と称したそうです。その子供の塀内吉政は、方広寺の大仏殿、豊国廟を造営したそうです。その子供の塀内政信は、元和五年(西暦1619)に平内政信に改名して徳川幕府から、日光東照宮、増上寺台徳院霊廟、西岡孔子廟などの造営を任されたそうです。その功績により平内氏は徳川幕府の作事方大棟梁を世襲したそうです。

日置(へぎ)

八坂神社(やさかじんじゃ)です。
高句麗(こうくり)から渡来帰化した伊利須使主(いりすおみ)の末裔(まつえい)が日置造を賜姓されたそうです。子孫は、栄井・鳥井・吉井三氏族に分立して近畿地方で繁栄したそうです。そうした子孫の中の八坂氏が感神院(祇園社、現在の八坂神社)執行(責任者)となって、明治維新まで代々世襲したそうです。

平群(へぐり)

平群坐紀氏神社(へぐりにますきしじんじゃ)です。住所は奈良県生駒郡平群町上庄(ならけんいこまぐんへぐりちょうかみしょう)5丁目1-1です。
紀氏の創建で、平群木菟宿禰(へぐりのつくのすくね)を祀っていたが中世には春日の神を祀って、春日神社といっていたそうです。

平群神社(へぐりじんじゃ)です。住所は奈良県生駒郡平群町西宮(ならけんいこまぐんへぐりちょうにしのみや)617番です。
平群氏が祖神の武内宿禰と平群木菟宿禰(へぐりのつくのすくね)を祀ったそうです。 武内宿禰の子、都久(とく)が大和国平群郡平群郷(奈良県平群町)に住して、平群氏と称したそうです。末裔(まつえい)には、履中天皇二年(五世紀前半)に国事を執政した木菟(つく)がいたそうです。

戸次(べつき)

楠木生八幡神社(くすぎゅうはちまんじんじゃ)です。住所は大分県大分市下戸次(おおいたけんおおいたししもへつぎ)1527です。
大神姓臼杵流維方惟久の子、惟家が豊後国大分郡戸次荘(大分市戸次町)を領して戸次氏と称したそうです。

別宮(べつぐう)

別宮大山祇神社(べっくおおやまづみじんじゃ)です。住所は愛媛県今治市別宮町(えひめけんいまばりしべっくちょう)3丁目6-1です。
和銅五年(西暦712)、伊予国越智郡の大領だった越智玉澄が、三島神社の主神大山祇神(おおやまつみのかみ)を三島神社の別宮として現在の今治市別宮町に勧請(かんじょう)し、その子孫が別宮の地を領して別宮氏と称したそうです。

逸見(へみ)

逸見神社(へみじんじゃ)です。住所は山梨県北杜市大泉町谷戸(やまなしけんほくとしおおいずみちょうやと)1143です。
甲斐(かい)源氏の新羅(しんら)三郎義光(源義光)が谷戸城内に諏訪明神と八幡神(はちまんしん)を祀(まつ)り、逸見神社と称し崇拝したそうです。義光公の子孫、武田義清の子、黒源太清光(武田清光)が谷戸城を新築し居城とした際に、旧谷戸城内から現在地に遷座し、逸見氏代々が崇拝したそうです。武田清光は、甲斐(かい)国巨麻郡逸見郷(山梨県北杜市)を領して逸見氏と称したそうです。

興味を持たれた方は電子書籍「神様と仲良くする方法。」をご購入ください。以前はこのサイトからPDFファイルをダウンロード出来ましたが、今は楽天Kobo電子書籍ストアで販売中です。

以上

  • コメント ( 0 )

  • トラックバックは利用できません。

  1. この記事へのコメントはありません。

関連記事一覧