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旧ブログ記事を更新(初出2019年4月19日)
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このページで紹介している氏神とは、鎮守神社のような地元の神様のことではなく、同じ氏族共通の神様の事です。いわば、あなたの御先祖様に当たる神様です。

水津(すいづ)

鷲原八幡宮(わしはらはちまんぐう)です。
住所は島根県鹿足郡津和野町鷲原(しまねけんかのあしぐんつわのちょうわしばら)632の辺りです。
この神社は吉見氏の始祖が鶴岡八幡宮から勧請した津和野の守護神です。水津氏は、越前国敦賀郡水津(福井県敦賀市杉津(ふくいけんつるがしすいづ))に発祥し、戦国時代、吉見氏に仕えて、石見津和野(島根県鹿足郡津和野町)を中心に周辺に子孫が広がりました。

末吉(すえよし)

杭全神社(くまたじんじゃ)です。
坂上氏流末吉氏は、坂上田村麻呂の子孫である坂上宗家の庶家である平野氏(ひらのし)の末裔です。摂津国平野庄(大阪府大阪市平野区(おおさかふおおさかしひらのく))一帯を開発し、織田信長に降服するまでは、堺と同じ戦国時代の自治都市「平野」を支配していた名家でした。豊臣秀吉が平野勘兵衛(ひらのかんべい)に末吉と名のるよう言った事から末吉勘兵衛家(すえよしかんべいけ)が始まりました。豪商であり、南蛮貿易、朱印状貿易、伏見銀座の運営、平野と河内の江戸幕府の代官などを務めました。本家は、東末吉家(末吉勘兵衛家)、西末吉家(末吉孫左衛門家(すえよしまござえもんけ))に分かれたそうですが、現在も平野で続いているそうです。九州や千葉県などに多い名字なのですが、海上貿易の拠点に広がっていったものと思われます。
末吉宮(すえよしぐう)です。住所は沖縄県那覇市首里末吉町(おきなわけんなはししゅりすえよしちょう)1丁目8です。
沖縄の末吉氏は、西原間切末吉村(沖縄県中頭郡西原町(おきなわけんなかがみぐんにしはらちょう))発祥だそうです。末吉宮は国家神道の神社ではなく、琉球国時代に建立されたものです。祭神は杭全神社と同じ熊野権現です。

菅野(すがの)

百済王神社(くだらおうじんじゃ)です。住所は大阪府枚方市中宮西之町1-68です。
菅野氏は渡来氏族百済王(くだらのこにきし)一族の菅野真道(すがののまみち)の子孫です。

菅谷(すがや)

鹿島神宮(かしまじんぐう)です。
常陸国鹿島郡菅谷村(茨城県那珂市菅谷(いばらきけんなかしすがや))を領地として菅谷と称したそうです。桓武平氏大掾氏(かんむへいしだいじょうし)の子孫の鹿島氏の子孫です。

菅原(すがわら)

菅原天満宮(すがわらてんまんぐう)です。住所は奈良県奈良市菅原町(ならけんならしすがはらちょう)518です。
菅原氏は、土師氏の子孫です。初代の菅原古人(すがわらのふるひと)が居住地である大和国添下郡菅原邑(奈良県奈良市菅原町)にちなんで菅原姓への改姓を願い出て、延暦(えんりゃく)9年12月(791年)に菅原朝臣(あそん)の賜姓を受けた事に始まります。子孫は文章に関する役職で朝廷に仕えました。
太宰府天満宮(だざいふてんまんぐう)です。
北野天満宮(きたのてんまんぐう)です。
防府天満宮(ほうふてんまんぐう)です。
菅原氏の子孫で特別な存在が菅原道真(すがわらのみちざね)公です。朝廷における藤原氏との権力争いの結果、太宰府に左遷されたため、御霊(ごりょう)となり朝廷に祟(たた)りをなしたので、菅原道真公を鎮めるために北野天満宮や太宰府天満宮などが建立されました。雷様の天神信仰と習合し、日本各地に天神神社が勧請されるようになりました。

鈴木(すずき)

藤白神社(ふじしろじんじゃ)です。住所は和歌山県海南市藤白466です。
藤白鈴木氏は、藤白神社の神官を代々務めた家だそうです。本家が住んでいた鈴木屋敷が藤白神社内に現存しています。
八柱神社(やはしらじんじゃ)です。住所は愛知県岡崎市欠町石ケ崎(あいちけんおかざきしかけまちいしがさき)です。
三河鈴木氏は、藤白鈴木氏の支流で、藤白鈴木氏の鈴木重家(すずきしげいえ)の親族といわれる鈴木重善(すずきしげよし)を始祖とします。鎌倉時代から南北朝時代の頃に三河国矢並(愛知県豊田市矢並町(あいちけんとよたしやなみちょう))を本拠に足助氏の本貫地である足助郷(愛知県豊田市足助町(あいちけんとよたしあしすけちょう))に進出し、足助鈴木氏とも称したそうです。周辺の有力戦国大名との間で半独立状態を保っていたのですが、徳川家康に降伏し、徳川家臣団に組み入れられました。家康の江戸への領地替えによって、一族の多くが旗本として江戸に転居しました。

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以上

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