氏神神社(さ行)関連リンク。
旧ブログ記事を更新(初出2019年4月19日)
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このページで紹介している氏神とは、鎮守神社のような地元の神様のことではなく、同じ氏族共通の神様の事です。いわば、あなたの御先祖様に当たる神様です。
雑賀(さいか)
矢宮神社(やのみやじんじゃ)です。住所は和歌山県和歌山市関戸(わかやまけんわかやましせきど)1丁目5-27です。
八咫烏命(やたがらすのみこと)が祭神です。雑賀荘(さいかそう)の産土神です。雑賀氏は藤白鈴木氏の支流で、戦国時代には鉄砲で有名な雑賀衆という集団を構成していました。
三枝(さいぐさ、さえぐさ)
加波山三枝祇神社(かばさんさえなづみじんじゃ)です。
住所は茨城県桜川市真壁町長岡(いばらきけんさくらがわしまかべちょうながおか)809です。
三枝氏は、建許呂命(たけころのみこと)の子孫の古代豪族、三枝部連(さえぐさべのむらじ)を祖とします。この神社は茨城国造であった三枝部連がその祖神を祀ったものだそうです。
子孫の三枝守国(さえぐさもりくに)が甲斐国に派遣され、土着し、甲斐源氏武田氏が興隆するまでは甲斐国の豪族として勢力を持っていました。やがて、熊野神社の社領八代荘(やつしろそう)をめぐる争いに敗れて没落し、武田氏の家来になりました。
大宮神社です。住所は山梨県笛吹市一宮町南野呂(やまなしけんふえふきしいちのみやちょうみなみのろ)621です。
この神社は豪族三枝家の祖とされた三枝守国を祀っています。江戸時代には、旗本・三枝家が崇敬していたそうです。
守国神社 (もりくにじんじゃ) です。住所は滋賀県東近江市北須田町(しがけんひがしおうみしきたすだちょう)701です。
この神社は旗本三枝家の江戸屋敷から遷座された三枝守国を祀っています。三枝宗家・三枝守経(さえぐさもりつね)さんが神主だったそうですが、子孫を残す事無く、亡くなられ、三枝直系の宗家はこの地に終焉(しゅうえん)したそうです。
大善寺(だいぜんじ)です。
この寺は、三枝守国が氏寺として再興しました。そのため、この寺には三枝守国の墓所があります。
斎藤(さいとう)
菅生石部神社(すごういそべじんじゃ)です。
藤原利仁(ふじわらのとしひと)は、平安時代中期の武将で鎮守府将軍になったそうです。
次男の藤原叙用(ふじわらののぶもち)が斎宮頭(さいくうのかみ)に任用されました。
叙用(のぶもち)は、この役職を誉れに思って、「斎宮の藤原」と称したのが斎藤氏の由来です。
藤原利仁(ふじわらのとしひと)は越前国敦賀の豪族・藤原有仁(ふじわらのありひと)の娘婿に成ったため、本願地が加賀になったそうです。
菅生石部神社(すごういそべじんじゃ)は、社伝によると、昔、疫病が流行したため、用明天皇元年(585年)に宮中で祀っていた菅生石部神(すごういそべのかみ)を勧請したのに始まるそうです。
神社が京都の北野天満宮領になったため、天神信仰が盛んになったそうです。斎藤氏が氏神として崇敬したそうです。
佐伯(さえき、さいき)
雄山神社(おやまじんじゃ)です。
元々は大伴氏で、大伴室屋(おおとものむろや)の子孫が佐伯氏と称しました。
厳島神社(いつくしまじんじゃ)です。住所は住所は広島県廿日市市宮島町1-1です。
古墳時代の中頃(5-6世紀)に安芸国の国造に任じられた佐伯直(さえきあたい)氏は、後に厳島神社の神主家となりました。
祖母嶽神社(そぼたけじんじゃ)です。住所は宮崎県西臼杵郡高千穂町大字五ヶ所1662です。
豊後大神氏流の戸次家(べっきしけ)の庶家で、戸次惟家(べっきしこれいえ)の子、佐伯惟康(さえきこれやす)を始祖とする佐伯氏はこの神社です。
酒井(さかい)
荘内神社(しょうないじんじゃ)です。
酒井氏は、三河国碧海郡(へきかいぐん)酒井村あるいは同国幡豆郡(はずぐん)坂井郷の在地領主だったそうです。
坂上(さかのうえ)
阿智神社(あちじんじゃ)です。
於美阿志(おみあし)神社です。住所は奈良県高市郡明日香村檜前594です。
坂上氏は東漢(やまとのあや)の一族で、征夷大将軍になった坂上田村麻呂が有名です。
坂本(さかもと)
多気・坂本神社です。住所は高知県安芸郡奈半利町です。
相良(さがら)
青井阿蘇神社(あおいあそじんじゃ)です。
藤原南家の支流で、遠江相良荘(静岡県牧之原市相良)に住んだことから相良と称したそうです。
その後、人吉荘(熊本県人吉市)の地頭に任じられ、江戸時代は肥後人吉藩主家として、明治維新まで存続しました。
人吉荘の領主になった相良氏はこの神社を氏神として崇敬しました。
桜井(さくらい)
櫻井神社(さくらいじんじゃ)です。住所は大阪府堺市南区片蔵645です。
建立は時期は不明ですが、この地方に住居していた桜井朝臣(あそん)の一族が、祖先である武内宿禰命(たけのうちすくねのみこと)を奉斎したと伝わっているそうです。
櫻井神社(さくらいじんじゃ)です。住所は兵庫県尼崎市南城内116-11です。
桜井松平家(さくらいまつだいらけ)は、松平宗家5代松平長親(まつだいらながちか)の三男、松平信定(まつだいらのぶさだ)を始祖とする松平氏の庶流です。三河国碧海(へきかい)郡桜井(愛知県安城市)を領したことから桜井松平家と称したそうです。桜井神社には、桜井松平信定から桜井松平忠興(さくらいまつだいらただおき)までが祀られています。
佐々木(ささき)
沙沙貴神社(ささきじんじゃ)です。住所は滋賀県近江八幡市安土町常楽寺1です。
佐佐木源氏の氏神であり、佐々木姓発祥地に鎮座しています。
佐竹(さたけ)
馬場八幡宮(ばばはちまんぐう)です。住所は茨城県常陸太田市馬場町(いばらきけんひたちおおたしばばちょう)574です。
天喜(てんぎ)四年(1056年)源頼義(みなもとのよりよし)が陸奥の安倍頼時(あべのよりとき)鎮撫(ちんぶ)に向かう途中に、石清水八幡宮を勧請したそうです。佐竹氏が佐竹郷から太田郷に本拠を移した事に伴い佐竹氏の氏神として崇敬されました。
若宮八幡宮(わかみやはちまんぐう)です。
佐竹家13代目の佐竹義仁(さたけよしひと)が応永(おうえい)元年(1394年)に鎌倉の鶴岡八幡宮を太田城内に勧請しました。宝永(ほうえい)五年(1708年)に現在地に移されたそうです。
西金砂神社(にしかなさじんじゃ)です。
住所は茨城県常陸太田市上宮河内町(いばらきけんひたちおおたしかみみやかわうちちょう)1915です。
西金砂山の頂上にある神社で佐竹氏の祈願所であると同時に、戦の時には山城としても利用されました。
東金砂神社(ひがしかなさじんじゃ)です。住所は茨城県常陸太田市天下野町(いばらきけんひたちおおたしけがのちょう)9740です。
東金砂山の頂上にある神社で佐竹氏の祈願所でした。
水戸八幡宮(みとはちまんぐう)です。
佐竹氏は水戸城主の江戸氏を滅ぼして、常陸太田から水戸に本拠を移しました。それに伴い、氏神として崇敬していた馬場八幡宮を水戸城内に勧請しました。のち、現在地に移転しました。
金沢八幡宮(かなざわはちまんぐう)です。住所は秋田県横手市金沢安本館(あきたけんよこてしかなざわやすもとだて)4です。
後三年の役で奥羽を平定した源義家(みなもとのよしいえ)が藤原清衡(ふじわらのきよひら)に命じ、石清水八幡宮を陥落させた金沢柵(かなざわさく)跡に勧請し、建立しました。秋田藩主となった佐竹氏が崇敬しました。
佐竹氏は、新羅三郎義光を祖とする常陸源氏の嫡流です。佐竹昌義(さたけまさよし)が常陸国久慈郡佐竹郷(茨城県常陸太田市(いばらきけんひたちおおたし))を本貫として佐竹と称したそうです。
佐藤(さとう)
八幡神社(はちまんじんじゃ)です。住所は山形県東田川郡庄内町余目町223です。
佐藤氏は奥州藤原氏の家臣です。
「左衛門尉(さえもんのじょう)の地位を持つ藤原」という意味だそうです。
佐藤氏の氏神は八幡神社(通称余目(あまるめ)八幡)です。
佐野(さの)
唐沢山神社(からさわやまじんじゃ)です。
佐野氏は藤原秀郷(ふじわらのひでさと)の子孫なので、この神社が氏神になります。
鮫島(さめじま)
山王神社(さんのうじんじゃ)です。住所は静岡県富士市鮫島416です。
藤原南家の支流工藤氏の一族が駿河国鮫島郷(静岡県富士市鮫島)を本貫とし、鮫島氏と称したそうです。源頼朝(みなもとのよりとも)に仕えていたのですが、事件を起こして、左遷され、薩摩国阿多郡(さつまのくにあたぐん)(鹿児島県南さつま市金峰町宮崎(きんぽうちょうみやざき))の地頭になりました。 山王神社の守り神鮫島四郎宗家によると真実性があるそうです。..真実じゃないの?
日枝神社(ひえじんじゃ)です。住所は鹿児島県南さつま市金峰町宮崎(きんぽうちょうみやざき)3523-1 です。3526-1のそばです。
古老の伝によると、建久三年(1192年)鮫島四郎宗家が源頼朝の命を受け、阿多の地頭となり駿河からこの地に下る時、近江国日吉大社の御分霊を奉斎したそうです。元旦の祭礼には、鮫島姓の人達は、先祖ゆかりの神社として参詣を絶やさないそうです。
沢田(さわだ)
いせ神宮(いせじんぐう)です。
沢田氏は、荒木田氏(あらきだし)の子孫なので、代々、皇大神宮(内宮)の社家なので内宮が氏神になります。
三瓶(さんぺい)
安達太良神社(あだたらじんじゃ)です。
住所は福島県本宮市本宮舘ノ越(ふくしまけんもとみやしもとみやたてのこし)232です。
五十嵐氏の家臣として東北地方に下向した一族で、福島県の郡山市・本宮市周辺に多い姓です。
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