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旧ブログ記事を更新(初出2019年4月19日)
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このページで紹介している氏神とは、鎮守神社のような地元の神様のことではなく、同じ氏族共通の神様の事です。いわば、あなたの御先祖様に当たる神様です。

甲斐(かい)

菊池氏系甲斐氏は、阿蘇神社(あそじんじゃ)です。住所は熊本県阿蘇市一の宮町宮地3083-1です。
菊池武房(きくちたけふさ)の子、菊池武本(きくちたけもと)は一族の内紛から甲斐都留郡(山梨県都留市)に逃れ、その子孫、甲斐重村(かいしげむら)は鎌倉幕府滅亡後、足利尊氏に従って九州に来ました。甲斐重村は甲斐国にちなんで甲斐氏と称しました。子孫は日向国高千穂(宮崎県高千穂町)に土着しました。戦国時代に甲斐親宣(かいちかのぶ)は阿蘇氏の重臣になりました。その子、甲斐親直(かいちかなお)別名、甲斐宗運(かいそううん)は筆頭家老として阿蘇氏を支えました。戦国大名阿蘇氏が島津氏に滅ぼされると甲斐氏も一緒に滅亡しました。
佐野氏系甲斐氏は、総社大神宮です。
室町幕府の三管領家の内の一家が斯波氏(しばし)であり、代々、越前国・尾張国・遠江国などの守護を世襲しました。甲斐氏は斯波氏の執事として越前国・尾張国・遠江国などの守護代になりました。その後、尾張国の守護代は織田氏が世襲するようになり、朝倉氏の台頭で本拠地の越前府中(福井県越前市府中)を奪われて本拠を遠江国に移しましたが、駿河国の今川氏の遠江国進出によって滅亡しました。

加藤(かとう)

藤原氏の氏神、春日大社です。
由来は「加賀の藤原氏」です。
源頼義の家来の藤原景道が、加賀の介に任じられたのが始まりです。
加藤清正公の子孫の人は、加藤神社です。
加藤嘉明公の子孫の人は、藤栄神社(ふじさかじんじゃ)です。住所は滋賀県甲賀市水口町梅ヶ丘2-26です。
加藤景忠公の子孫の人は、東京都多摩の加藤神社です。住所は東京都西多摩郡瑞穂町大字箱根ヶ崎315です。
元々は武田氏の滅亡後、上野原城主の加藤丹後守景忠が妻子および数名の家来と一緒に討ち死にした加藤塚だったそうです。

金子(かねこ)

武蔵の金子氏(高麗氏の一族)と物部の金子氏の二つの系統があります。
武藏の金子氏は金子神社です。住所は埼玉県入間市西三ツ木23です。
物部の金子氏は石見一宮物部神社(いわみのくのいちのみや・もののべじんじゃ)です。

金丸(かねまる、かなまる)

武田八幡宮です。住所は山梨県韮崎市神山町北宮地(やまなしけんにらさきしかみやままちきたみやじ)1185です。
長盛院(ちょうせいいん)です。住所は山梨県南アルプス市徳永(やまなしけんみなみあるぷすしとくなが)1678です。
清和源氏義光流武田氏族の金丸氏は、武田信重(たけだのぶしげ)の子供、金丸光重(かねまるみつしげ)が、途絶えていた金丸氏を再興して金丸右衛門尉を称したことに始まるそうです。中巨摩郡八田村(南アルプス市徳永)を領していたそうです。金丸屋敷跡は、現在、曹洞宗長盛院になっています。
中山神社(なかやまじんじゃ)です。
住所は宮崎県東臼杵郡門川町門川尾末(みやざきけんひがしうすきぐんかどがわちょうかどかわおずえ)6343です。
氏姓は不明ですが、宮崎県の金丸氏は、中山神社の社家、金丸氏の支流と思われます。金丸神主は剣術が得意だったので、地元の川に住んでいた大蛇に子供を飲み込まれていて困っていた河童(かっぱ)に大蛇退治を頼まれ、大蛇を討ち果たし、河童からお礼に何をしたら良いかと聞かれて、村の子供達が河童にいたずらされて困っていたので、自分の子孫だけ、いたずらをしないようにと頼んだところ、河童はいたずらはしませんと約束しました。それから、村の子供は皆、川で泳ぐとき、「金丸の一党です」と唱えるように成ったという民話があるそうです。

狩野(かのう)

軽野神社(かるのじんじゃ)です。住所は静岡県伊豆市松ケ瀬79です。
藤原氏南家流の藤原武智麻呂(ふじわらのむちまろ)の四男藤原乙麿(ふじわらのおとまろ)の子孫、伊東家次(いとういえつぐ)の四男工藤茂光(くどうもちみつ)が工藤介、その子の狩野宗茂(かのうむねしげ)が狩野介を称しました。
狩野氏は狩野城(静岡県伊豆市本柿木)を築き、伊豆国狩野荘(伊豆市修善寺・天城湯ヶ島地区)と伊豆国狩野牧(静岡県伊豆市牧之郷)を領地としました。日本書紀に書かれた地名の「枯野」から「軽野」、「狩野」と変化したようです。

蒲池(かまち)

三島神社(みしまじんじゃ)です。住所は福岡県柳川市西蒲池(ふくおかけんやながわしにしかまち)617のとなりです。
蒲池氏の氏神です。
高良大社(こうらたいしゃ)です。
蒲池氏ゆかりの神社です。この神社に蒲池武久(かまちたけひさ)の娘が婿取りの祈願をしたところ、御利益があって、蒲池久憲(かまちひさのり)と巡り会えたという話が伝わっています。
二宮神社(にのみやじんじゃ)です。住所は福岡県柳川市稲荷町(ふくおかけんやながわしいなりまち)218-3のとなりです。
天正(てんしょう)九年(1581年)6月16日、柳河城主、蒲池鎮並(かまちしげなみ)は佐賀肥前の龍造寺孝信(りゅうぞうじたかのぶ)によって佐賀に誘い出され、謀殺されます。柳河城を守っていた弟の蒲池統安(かまちむねやす)も戦死し、蒲池一族は滅亡します。戦後、柳河を治めた龍造寺一門に度重なる不幸が起こるので、龍造寺孝信は蒲池一族を慰霊するためにこの神社を建立したそうです。
蒲池氏は、元々は嵯峨源氏渡辺党・松浦氏族だったのですが、蒲池武久が跡取りもなく討ち死にしたため、藤原氏宇都宮氏流の宇都宮久憲(うつのみやひさのり)が蒲池武久の娘を妻として、蒲池氏の名跡と遺領を継いで、蒲池久憲と名乗ったそうです。

賀茂(かも)

上賀茂神社(賀茂別雷神社:かもわけいかづちじんじゃ)と、
下鴨神社(賀茂御祖神社:かもみおやじんじゃ)です。

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以上

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